「働かざるもの食うべからず」を考える

【目次】

  1. はじめに
  2. 生きるコストと産み出す価値
  3. 価値の観点から罪を考える
  4. まとめ

はじめに

「働かざるもの食うべからず」ということわざから、 生きるコストと価値の関係、 また価値の観点からの罪の定義などについて考えてみました。

※本コラムは私の個人的な見解を述べたものです。 一つの意見としてお読み頂ければ幸いです。

生きるコストと産み出す価値

生きるためにはコストがかかる

人が生きるためには着るもの、食べるもの、住むところが必要です。 これら衣食住で消費する価値が、生きるコストとなります。

人は、生きているだけで一定のコストがかかる、 つまり我々は、価値を消費しながら生きている存在なのです。

従って、我々が生き続けるためには、 自分が世の中で消費する価値と同等以上の価値を 世の中に提供していかなければなりません。

産み出される価値の総量が、消費される価値の総量を上回るとき、 世界は発展していきます。

逆に、産み出される価値の総量が、消費される価値の総量を下回るとき、 世界は衰退していきます。

正しくは「価値を産み出さざるもの食うべからず」

ことわざに、「働かざるもの食うべからず」というのがあります。 働きもしないで価値ばかり消費するな、ということです。 人類の持続的な生存の観点から見ても、この考え方は基本的には正しいと言えるでしょう。

ただ、「働く」ということは必ずしも「価値を産み出す」ということと 同義ではありません。

よって、より正確に表現するならば、 「価値を産み出さざるもの食うべからず」 になるのではないでしょうか。

仮に働いていたとしても、生産性の低い働き方をしている場合、 「消費される価値 > 産み出される価値」 になってしまいます。 これでは働いていても、世の中全体からみればマイナスです。 また、「詐欺を働く」など、最初から価値を産み出さない方向で働いている人もいます。

逆に、労働という意味では働いていなくても、 大家として住居を提供しているような人は、 世の中に住環境という価値を提供していることになります。

つまり、「働く」ということは、あくまで「価値を産み出す」ための手段の一つなのであり、 実際は「働いているかどうか」ではなく「価値を産み出しているかどうか」が重要 であるということです。

「価値」の観点から「罪」を考える

罪とは何か

罪、つまり犯罪について、価値の観点からより本質的に考えてみたいと思います。

世の中においては「法律に違反する行為」が犯罪とされているわけですが、 価値の観点で考えると、 「他人の持っている価値を不当に減らす行為」が罪になる、 ということになるのではないでしょうか。

他人の持っている価値を不当に減らすと罪になる

お金を払ってモノを買う場合は、同程度の価値を交換しているだけですので罪にはなりません。

しかし窃盗の場合、 他人のモノを対価なく奪うわけですから、他人の持っている価値を不当に減らすことになります。 だから罪になるわけです。

同様にして詐欺の場合、提供している価値がゼロ、あるいは少しの価値しかないのに、 相手を騙して過大なお金を払わせているわけですから、 他人の持っている価値を不当に減らしています。 だから罪になるわけです。

また交通事故の場合は、 他人に傷をつける、あるいは死亡させることにより、 他人や遺族の価値を減らしてしまいます。 だから罪になるわけです。

人類は、消費する価値以上の価値を産み出し続けていかなければ存続できません。 従って、他人の価値を減らすような行為を犯罪として定義し罰を与えることで、 世の中全体の価値の不当な減少を抑止していくような仕組みになっているわけです。

まとめ

  • 人が生きていくためにはコストがかかる
  • 生きるコストを賄うためには、消費する以上の価値を産んでいく必要がある
  • 働いているかどうかより、価値を産んでいるかどうかが重要
  • 他人の価値を不当に減らすと罪になる
タイトルとURLをコピーしました