はじめに
オーディオの世界において、「良い音」の追究というのは普遍的な目標であると思います。 良い音の再生のためには、良い電源、良いケーブル、良いアンプ、良い回路、良いスピーカー… 高品質とされるものは、ケーブル一本とっても何万円もするそうです(^_^;
しかしそういったこだわりの世界(いわゆる「ピュアオーディオ」の世界)は 「オカルト」と揶揄されることもしばしばです。 効果のないものを高額で売っているという批判もあれば、 効果があるとそれを擁護する人もいます。
どこまでが本当で、どこからがオカルトなのか。 高音質とは何か、音が変わるとはどういうことか、 アナログとデジタルの違い、そういったことも含め 「オーディオオカルト」の世界を考察してみたいと思います。
※本コラムは私の個人的な見解を述べたものです。 一つの意見としてお読み頂ければ幸いです。
「オカルト」とは何か
ここで言うオカルトとは、以下のようなものと定義します。
- 根拠のあやしいウンチク
- 費用対効果が低すぎる製品
例えば、 実際は音に有意な変化がないのに、 「音が良くなる」などと謳っている製品 や 根拠が意味不明なのに「音が良くなった」などと言っている評論 のことですね。
図にするとこんな感じでしょうか?
では、よくあるオカルトを見ていきましょう。
「良い音」の定義をすり替えるオカルト
「良い音」って何?
そもそも、「良い音」とは何なのでしょう? 「音が良い」「音質が良い」「高音質」などと表現されることもあります。
しかし、このへんの定義は実はあいまいです。 「良い音」の意味については、大きく分ければ次の3つが挙げられると思います。
- 原音に忠実な音
- ノイズの少ない音
- 聴いて心地よい音
「原音に忠実な音」とは、文字通り、 記録された元の音が忠実に再現された音のことです。
「ノイズの少ない音」とは、 原音以外の雑音が少ない音のことです。 「SN比がどうたら」というアレです。
「聴いて心地よい音」とは、 音楽を聴いたときの人間の情感により豊かに訴える音のことです。 「しっかりと芯のある音で…」「高域のヌケが心地よく…」とかいうアレです。
「良い音」がごっちゃに
さて、そんな中でよくあるオカルトが、 SN比など 「ノイズの少ない音」をアピールしておきながら、 「聴いて心地よい音」であるとすり替える パターンです。
↓
「高域のピュア感が際立ち中低域の密度感とドラムの胴鳴りがうんたら」
↓
「だからお値段張ります♪」
ノイズの少なさは確かに重要ではありますが、 それはノイズが少ないというだけであって、 人間の情感への訴え方が変わるような音楽的な変化を遂げているわけではありません。 従って、その点をすり替えているものはオカルトと言えます。
また、「原音に忠実な音」「聴いて心地よい音」というのも微妙です。 「聴いて心地よい音」かどうかは元データによりますし、 元データにかかわらず「聴いて心地よい音」を出すという機器は、 音にアレンジを加えて「原音に忠実でない音」を出しているとも言えます。 原音に忠実であるかどうかをもって、良い音かどうかを論ずるのは そもそもナンセンスでしょう。
「音が変わる」の定義をすり替えるオカルト
「音が変わる」って?
「音が変わる」の定義もあいまいなのですが、 大きく分ければ次の3つが挙げられると思います。
- データの変化
- 音楽的な変化
- 心理的な変化
「データの変化」とは、 記録されている音そのものの情報の部分の変化のことです。
「音楽的な変化」とは、音楽を聴いたときの人間の情感に訴える部分の変化のことです。 「中音域が豊かに」とか「伸びのある低音に」とかいうアレです。
「心理的な変化」とは、音楽を聴いたときに「音が変わった!(気がする)」という心理的な変化のことです。 別名「プラシーボ効果」とか「気のせい」などとも言います(笑
「どう変わったか」が問題だ
変わったか変わってないかで言えば、ほんの少しでも変化があれば「変わった」と 主張することができてしまいます。 しかし、それが人間に取って意味のあるような変化かどうかはまた別の話です。
よくあるのが、 わずかな「データの変化」程度のものを、 「音楽的な変化」と謳って高額な値付けをしている ものです。
↓
「わずかにでも変わっているので効果はある」
↓
「最高級な素材を用いて解像感のある高域と低音の締まりがうんたら」
↓
「だからお値段張ります♪」
というもの。
いやいや、「データの変化」と「音楽的な変化」はイコールじゃありませんから。
こういう、「変わる」の意味をすり替えたもの、 あるいは費用対効果が低すぎるものはオカルトと言えます。
変わっていなくても変わったと言い張れる
一番やっかいなのは「心理的な変化」です。 これは、音が本当に変わっていようがいまいが、 自分は変わったと感じたのだから変わったのだ というやつです。
↓
「私には確かに変わって聴こえたのだから、データには表れない何かが変わったに違いない」
というやつですね。
この場合、製品にもっともらしいウンチクが添えられていると、 心理的変化を感じやすいと言えます。 「最高級の無酸素銅を使い、厳密な検査をクリアした、99.99999999%の…」 「これにより低域の定位感と、安定した中域、高域の粒度感が…」 うんたらかんたら。 むしろオカルト製品は、心理的変化を生むことを主目的として ウンチクを添えているのでは…と思います(笑
「デジタルを理解していない人」を対象としたオカルト
デジタル機器の普及に伴って、近年台頭してきたオカルトです。
アナログとデジタルの違い
本格的なアナログとデジタルの定義についてはwikipediaでも参照して頂くとして、 音楽の世界では、ものずごくざっくり言えば以下のような違いになります。
- アナログデータは音波の起伏そのもの
- デジタルデータは音波の起伏を数値化したもの
アナログデータは、記録、伝送、再生において、 音の起伏そのものが電気信号の強弱などに変換されて扱われます。
デジタルデータは、記録、伝送、再生において、 音の起伏が「01000111」などという数字に変換されて扱われます。 ただ、最終的にスピーカから音として再生される前には、 デジタルからアナログに変換され、音波として再生されることになります。
アナログデバイスで音は変わるのか
デジタルが登場する前は、オーディオ周りの機器や配線はアナログでした。 アナログデータのやり取りでは、機器や配線の材質によって 電気信号の波形に変化が生じるため、それがそのまま音波の変化として表れてきます。 つまり、 アナログデータのやり取りにおいては、 高品位な機器やケーブルを使うというのは無意味なことではない と言えます。
ただやはり、 費用対効果が低すぎるものはオカルト と言えます。
デジタルデバイスで音は変わるのか
デジタルデータのやり取りにおいては、 機器やケーブルの品質によってデータの変化が生じることはあり得ない と言えます。 もちろんデジタルデータであっても物理的には電気信号のやりとりなのですが、 デジタルデータは電気信号で01の数値を伝えているのであって、 電気信号で波形そのものを伝えているわけではありません。
よくあるオカルトが 「デジタルケーブルで音が変わる」 というやつで、 USBケーブルやFireWireケーブルなどを変えると音が変わるという主張です。 アナログデータとデジタルデータでは、伝送のされ方が根本的に異なりますので、 デジタルケーブルを変えてもデータは変化しない、つまり音は変わりません。
デジタルデータに変化が生じたとしたらそれは単なる「伝送エラー」 であり、「00000000」が「00010000」となるような変化です。 通常、デジタルデータの伝送プロトコルにはエラーチェックの機能があり、 もしデータデラーが発生した場合には、自動的に正しく訂正されます。
では、仮にこのエラーが訂正されずに再生されたとしたら? 「プツッ」という単発ノイズとして表れる ことになるでしょう。 間違っても「ふっくらとした低音が」とか「イキイキとした高音が」などという 「音楽的な変化」にはなりません。
もし、デジタルケーブルで音楽的な変化が生じるのだとしたら、 それは 音の波形が全編に渡って全く別物に変化している ことを意味します。 「11001100」が「01010101」に変わるような変化です。 いくら「高品位な純度の高いデジタルケーブル」を使おうと、 そんな連続的で音楽的な変化はあり得ない わけです。
そんな不気味な変化をするデジタルケーブルがもしあれば、 それこそ本当にオカルトなケーブルです(笑
あとは、HDDで音が変わるとか、SDカードで音が変わるとか、 手を変え品を変え色々とありますが、どれも理屈は同じです。
↓
「なめらかな解像感と精細な拡がり感、 演者の息遣いまでもが聴こえるかのような生音の臨場感は、 まるでアナログのような豊かな音量感と共に圧倒的な迫力を産み出し、 高域から低域まで繊細な音の世界観を実現すると共にうんたら」
↓
「だからお値段張ります♪」
変化のないデジタルデータに対して「音が変わった」と思わせるためには、 プラシーボ効果に頼るしかありません。 したがって、デジタルデバイスでのオカルトでは、 ウンチクポエムの役割が大変重要になります。
理系と文系の違い?
どうもデジタルとアナログの区別が曖昧な人は、 デジタルデータもアナログデータと同じようなイメージで 音波そのもののデータがリニアに流れているかのように思っているようですが、 デジタルでやりとりされているデータは音波そのものの形とは全く異なります。 デジタルデータのやり取りは、 データのフォーマットと伝送プロトコルに支配された数字の羅列 です。 そんな数字の羅列のやり取りで、どうやって音楽的な変化を産むというのか…(^_^;
まぁ、デジタルケーブルもアナログケーブルも見た目は同じような感じなので、 仕組みが全然違うと言ってもイメージがわかないのかもしれませんね。 色んな人がいるので一概には言えませんけども、 理系の人ならピンと来るような話でも、 文系の人にはなかなか…というのはあるかもしれません。
昔ある音楽雑誌で読んだ記事では、 「zipで圧縮してから解凍すると、ソフトによって音が変わる」 なんていうメチャクチャなのもありました。 7-zipは音がガッツリしてどうだとか…。 mp3などの不可逆圧縮ならともかく、zipなどの可逆圧縮で いくら何でもそれはあり得ないでしょう。 そんな圧縮ソフトがあったら、ファイルが破損するわい!!(笑
というわけで、デジタル関連のオカルトは、ほとんどデタラメと考えてよいでしょう。
なお、「デジタル機器」の中にはアナログの処理回路も含まれていますので、 そういうアナログの部分で音が変化することはあり得ます。 ただそれは、デジタルデータが変化したということを意味するわけではなく、 「デジタル機器の中のアナログ処理回路による影響」なので、アナログの問題です。
また、「デジタル処理」を行えば当然デジタルデータでも変化します。 それは意図的に処理を行っているのだから変化して当然であり、 「意図しないデジタルデータの変化」ではありません。
オカルト的なオーディオ談義の捉え方
さて、事実に基いて考察すれば、オーディオの世界にはオカルト的なものが はびこっているわけですが、それがいいか悪いかというと、また別の側面があると思います。
人間の喜びとか満足感とかって、どこから来るんでしょう?
いわゆるオーディオマニアの人って、 音楽を楽しみたいということもあるけれど、 それと同じくらいに 「ウンチク」が好き なんじゃないでしょうか。
よくあるでしょう、こういう表現…
- しっかりとした芯のある音で
- ガッツリとした中域の押し出しが
- 音の一つ一つの粒立ちがくっきりと
- 高域の伸びしろの広さとヌケの良さが
- 音の表面にざらついた感じがなくもないが
- 圧倒的な音の密度感がギターの音像を際立たせ
- 中量域のボリューム感がしっかりとしたボディを構成し
- 低域は重量感がありながらもベースのキレの良さを感じさせる
さしずめ 音のソムリエ ですね(^_^;
仮に製品がインチキで、音に有意な変化がないとすれば、 こういう評論はほとんど「デタラメ」なわけです。
しかし、そういうインチキ製品であっても、 「プロが感覚を研ぎ澄まして聴き比べた」評論がまぶされ、 「さも科学的根拠がありそうな」話が添えられていれば、 ウンチク好きなオーディオマニアとしてはそれで「満足」するわけです。
さらに、製品の値段が高いほど、 「高いのだから効果があるはず」「高かろう良かろう」というプラシーボ効果が発揮され、 満足感は増幅すると言えるでしょう。
こういうのは高級ブランド品を買うときの感覚に近いのかもしれませんね。 実際に自分で高いお金を出して製品を買い、 雑誌のウンチクを読みながら音楽を聴けば、 「おぉ、確かに音が良くなった!」と思えてくる(思いたい)のは自然なことでしょう。
人間の感覚なんて、あてにならないものです。 その日の体調や、心の状態によっても聴こえ方は変わるのだから、 本人にとっては本当に音が変わって聴こえるのかもしれません。 オカルトを信じることによって「音が良くなった」と本人が感じられ、 本人が満足できるのであれば、それはそれで幸せなのかもしれません。
そう、例えインチキであっても、一定の人々に満足感を与える。
「インチキだって?…ホントは皆わかってるんだよ。でもそれは言わない約束♪」
…まぁ少しぐらいそんな世界があってもいいのではないでしょうか(笑
私は買いませんけどね(^_^;ゞ
まとめ
- 「良い音」「音が変わる」の意味の曖昧さは、オカルトに利用されやすい
- 費用対効果の低すぎる高額製品はオカルト
- デジタルデータ周りのウンチクはオカルト
- オカルトでもそれを信じる人が幸せなら、それはそれでありなのかもしれない